空海が密教の経典を得たのはラッキーだったので
空海が密教の経典を得たのはラッキーだったのでしょうか。空海が密教の経典を得たのはラッキーだったのでしょうか。 最澄と空海は、どちらも中国に渡って密教を学ぶわけですが、
最澄の持ち帰った経典よりも
空海の持ち帰った経典が何倍もすぐれた経典だったのですか。
密教の本家のところから経典をもらって来ることに成功したんでしょうか。
それは、ラッキーな出来事だったのでしょうか。こんな話もあります。
しかし、留学団のリーダーだった最澄は
朝廷から「日本に仏教総合大学を作れ!そのためには仏教の全体像を
把握する必要があり、一年間に限り中国留学を許可する。」
との使命を与えられたようです。
他のことが忙しく、心行くまで密教を勉強できなかったようです。
このこと(↑)は確たる証拠がありませんが、こんな状況証拠があります。
①最澄は一年で帰国。
③日本天台宗の学び舎(仏教総合大学)として最澄は比叡山延暦寺を開いた。
発行所みたいな感じ)の設置を許されている。
それに対して空海は実家のコネを使って
最澄留学団に便乗させてもらったフリー(ある意味モグリ)の僧だったので、
好きな期間、好きなだけ、好きな密教のみ勉強できたのです。
中国で密教の専門家「恵果」(けいか)という僧に
認可を受けるまで密教を勉強できました。
来ることに成功した」理由はラッキーではなく、必然なんです。
蛇足ですが、